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スペシャルティコーヒーの歴史をご紹介します。
「スペシャルティコーヒー」の概念が誕生したのは1980年代です。「まずい」ものと思われていたコーヒーの品質向上、コーヒーの消費量低迷に歯止めをかけること、適正価格の取引を目的として1982年にSCAAが誕生しました。
以来、スペシャルティコーヒーは発展を続けています。
1960年代、70年代の東西冷戦下では、コーヒーはアメリカによって中南米諸国の共産化防止策として大量に買い付けられていました。
いわば、コーヒーを「買い叩かれる」状況にありました。
そのため生産国の品質低下を招き、アメリカでのコーヒーの味は低下し続けることになりました。
薄いコーヒーは更に薄くなり、お替り自由が当たり前になっていきました。
そしてハリウッド映画などで揶揄されるようにアメリカのコーヒーは不味いイメージで浸透していきました。やがて、そうしたイメージのせいでアメリカ人のコーヒー離れにつながっていったのです。
東西冷戦も終結を迎えるころ、カルフォルニアでピーツのような高品質のコーヒー、ダークロースト(深煎)のコーヒー自家焙煎店が出現し始めます。
コーヒーの消費の流れが、少しずつ高品質を求める方向へ向かっていきます。
1982年:アメリカスペシャルティコーヒー協会設立(SCAA)
1999年:カップオブエクセレンス プロジェクト開始
(スペシャルティコーヒーのインターネットオークション)
「スペシャルティコーヒー」という言葉、概念が誕生することにより、コーヒーに対する意識に変化が生まれました。
スペシャルティコーヒーの言葉出現以前 |
生産国では欠点豆の有無をチェックするネガティブ評価基準を行っていました。 |
スペシャルティコーヒーの言葉出現以後 |
ワインの世界と同じく、味のキャラクターを掴むポジティブ評価が行われるようになりました。 |
消費者、買い付け業者の意識の変化だけではなく、生産者の側でも意識の改革が求められたのです。
スペシャルティコーヒーは、単に消費者の嗜好性の高まりだけではなく、コーヒー市場全てを高めることを目指す概念です。
時代が進むにつれ、コーヒーに対して生産者、消費者とも意識が変化してきました。
1960年代から国際コーヒー協定で価格の暴落を抑止するために輸出割当規制をきめられていたがブラジル・コロンビアが増産コーヒーを輸出したいがために規制は休止されました。
1989年以降は供給過剰からコーヒー相場は暴落し、生産地での原価割れからコーヒー農園を手放す人がいたり、コーヒーの質は下がり続けました。
2000年~2002年にかけて、市場価格に振り回される生産者の存在、時代背景から消費国側も危機感を持ち適正価格で高品質コーヒーを買い付ける必要性が求められるようになりました。
以後、この方向性を保ちながらコーヒーの取引が行われています。ですが、現状ではまだ不十分と言わざるを得ません。
コーヒーの生産者、消費者が互いに意識を高く持ち、品質の良いコーヒーを広げていかなければなりません。